告知をすることを皆さんいいことだ思うのでしょうが、患者さんにとって本当にいいのかなと思うのです。そんなに簡単に割り切っていいのかな。
Andrew いま患者さんのヒストリーを説明していただきましたが、いかに難しい状況があるかということがわかりました。日常的な検査の結果などについてもそういったすべての情報を患者さんと分かち合っていこうというその姿勢は私も正しいと思います。この人が自分のやり方で自分の人生を生きようとしたわけですけれども、そのことをtruth tellingをしたそのやり方は間違っているとは思いません。
ホスピスで患者さんを見ていて、患者さんがいちばん大事だと思っていることと、私たちが患者さんにとってこれがいちばん大事だろうと思うこととは共通していると思いがちなのです、よく患者さんの言っていることを聞いてみると必ずしもそうではない場合があるのではないかと思います。ペインコントロールがそれほどうまくいかなくても、他にもっとこれが大事なのだということがある患者さんもいます。この患者さんの場合は心理的な面できちんとコントロールをしていきたい、たとえば少なくとも家の留守番ができるそれが嬉しいというようなことを患者自身が言っていますが、それがこの患者さんにとってはとても大事なことなのかもしれません。
それからもう一つ、truth tellingをするときに一度に告知をしてしまうのではなくて、小出しにしてあげるということも大事だということです。私たちはプロとして非常に不快な負担、重荷つまり告知ということがあるわけですけれども、その重荷というのをただ単に患者さんに伝えて、患者さんに放り投げて移してしまうということだけで終わってしまうことがないように注意をすることが大切だと思います。重荷を相手に押しつけてしまうのではなく、truth tellingをして情報を与え、そして必要に応じて患者さんといっでも話ができる、相談ができるという状態にするということが大事だと思います。
発表者 そういうことを考えますと相手にやるだけでなくそれをサポートするシステムがきちんとできてないとなかなかできないことなのですけれども、いまの日本の状況を見ますと、私の病院でもそうなのですけれども、すべてが整ってないのです。ここに関わった人数を書いたのは、たまたまこれだけの人たちが関わってくれて私の投げた重荷をちゃんと周りの人が支えてくれたこともあったのです。私はやりながら考えるほうですから、できるところから始めたいのですけれども、このような症例をやればやるほど重荷が大きくなりまして、私自身が疲れております。
武田 総論的にいいますと、本当のことを告げてある状態で患者さんを診ていくほうが楽なのだと思います。システムができたらできるかといいますと、いくらシステムができてもできないだろうと思います。関わっている人が、先ほど日野原先生がおっしゃったように、時間を投資するという覚悟があって、それを実行する気持ちがあって初めてできることなのではないかと思います。
私の病院はほとんどの患者さんが病名も病状も知っている状態で運営していますが、だから何か新しい職種をつくったとかいうことではなくて、医療側が考え方の視点を変えることで対応していこうとしていきました。結果としては、本当のことを言わなかった頃に起こっていたマネージしにくいような精神症状を示す患者さんというのがほとんどいなくなってしまいました。ですから、本当のことを言ってもそれは患者さんにとっても医療側にとっても重荷でしょうが、多分知らせていなかったときのほうが自覚的には軽かったのかもしれませんが、実際にはもっと思い荷物を背負わせていたのではないかと私は思います。
相対的にお考えになると、先生も少し気持ちが楽になるのではないかと思います。−私は長いこと呼吸器外科の仕事をしてきたのですが、私自身はtruth tellingをしたいと思ってやってきました。しかしチームでやってきたものですから本当のことを知らされていない人が大勢いて、肉芽腫だとか結核だとかいわれて再発して入ってきて、何か突発的なことがあったら気管カニューレを入れられてそのまま亡くなってしまうとか、いろいろひどい状態をたくさん見てきました。私たちがこれまでやってきたことがあまりにもひどすぎたし、罪が深すぎるというようなことが大きかったと。ですから本当のことを話すことでどんなマイナスがあるかと、いうことを考えるよりも、過去そういうことをしなかったときのほうがはるかにひどかったということを一つのtruth tellingを推進しようとする気持ちの理由にしています。
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